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鳥取の歴史発見トラベルマガジン。歴史から紐解く鳥取の文化遺産、観光地の新しい見方などご紹介します。

奥の院 一般社団法人 鳥取・日光400年プロジェクト
自 然

鳥取砂丘と刀剣の意外な関係?

「鋼の歴史」流れ着く、鳥取砂丘

 鳥取を代表する観光地といえば、鳥取砂丘を挙げる方も多いのではないでしょうか。山陰海岸ジオパーク*エリアでもある鳥取砂丘は鳥取市の日本海側に南北2.4㎞、16㎞に広がり高低差最大約90メートルという、観光砂丘としての広さ日本一の砂丘です。

鳥取砂丘の砂はどこから来たの?

 砂丘の砂の供給源は中国山地。中国山地には広く花崗岩質の岩石が分布しており、これらは長い地質時代の間に風化作用を受けて「マサ土」と呼ばれる半固結の風化岩になりました。この風化岩が浸食され、千代川などの河川によって日本海に流出します。一度沖合まで出たものが、沿岸流にのって再び陸地に近づき、海岸に打ち上げられ砂浜となり、乾燥した砂は日本海の強い海風に巻き上げられ、数万年の年月をかけ起伏に富む広大な鳥取砂丘となったのです。まさに日本列島創生の歴史が凝縮された地球規模の歴史的地形の遺産。故に「山陰海岸ジオパーク」の一部として指定されています。

鳥取砂丘と刀剣の意外な関係?

伯耆安綱 作:童子切安綱

 山陰(特に島根県東部から鳥取県西部にかけて)は古くから砂鉄を採取し、高い技術の「たたら製鉄」により良質な鋼を清廉する技術が息づく地。 鋼をつくりだすたたら製鉄を「大鍛冶」、その鋼を日本刀などに鍛える刀匠「小鍛冶」が神代の時代から栄えていました。かつて日本刀の製法や反りなどの原型を生み出した刀匠の始祖とも言われるあの名刀「童子切安綱」の刀匠「伯耆安綱(平安期・鳥取県倉吉市)」や、粟田口吉光の門人として吉正を名乗り、因州移住後に因州住景長、因州小鍛冶の名を博した通称「藤左衛門(鎌倉~南北朝時代)・鳥取市」など、国宝級の名匠を輩出した、刀剣史に関わりの深い地なのです。

古より、多くの刀剣を生んだ千代川上流の「マサ土」

鳥取砂丘で見られる砂鉄(黒い部分)

 島根県や鳥取県西部に比べ、その記録は少ないながら、鳥取県と岡山県の県境千代川源流域あたりに一大たたら場がかつて存在していたことは事実とされています。「マサ土」の中に含まれる砂鉄を集めるために、古墳時代から明治時代まで採集され、古くからたたら製鉄の原料となってきました。このとき出る大量の砂が鉄穴流し(かんなながし)という製鉄技法によって流され、これがやがて鳥取砂丘の砂になったとも言われています。つまり鳥取砂丘の形成には、「たたら製鉄」という日本刀を生み出すための“人の手”が大きく関与していたことになるのです。 このように採集された砂鉄から製造された和鋼(玉鋼)が素材となって、数多くの名刀に生まれ変わりました。かつて刀剣を始めとする武器の優劣がそのまま氏族の発展につながる時代が存在しました。そのような時代に、それら名刀は世に出回ったことでしょう。

風紋に浮かぶ、想いの中の刃文

 山陰海岸の砂浜や砂丘の砂はこうした長い旅を経て、美しい景色を私たちに見せてくれます。夕日の照らす風紋に、夜の漁り火に、冬の雪景色に、彩り豊かな表情を見せる砂丘のその景色を眺めながら、気も遠くなるほどの昔、ここに流れついたマサ土、採取され刀となったマサ土、それぞれの終着地への想像が豊かに広がります。広大な砂丘に佇み、アニメ映画にも描かれた“たたら場”の世界観、またその玉鋼から生まれた数々の名刀や名匠へ想いを馳せてみるのもまた格別です。

鳥取砂丘
所在地
〒689-0105 鳥取県鳥取市福部町湯山2164−661
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地図は『鳥取市要覧』(大正15年・鳥取市発行)から転載。(鳥取市市民図書館蔵)