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鳥取の歴史発見トラベルマガジン。歴史から紐解く鳥取の文化遺産、観光地の新しい見方などご紹介します。

奥の院 一般社団法人 鳥取・日光400年プロジェクト
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温 泉[特典あり]

池田藩32万石の城下町に、
こんこんと湧く名湯「鳥取温泉」

全国的に珍しい、県庁所在地の繁華街に湧く鳥取温泉

 鳥取は中心市街地=城下町の、池田藩32万石の風情を残す地方都市。城の外濠としてつくられた袋川の流れる脇に「寺町」「鍛冶町」「桶屋町」など城下町の面影を残す呼び名の多い中、JR鳥取駅近隣のビジネスエリア・繁華街エリアには「吉方温泉」「永楽温泉」「末広温泉」など温泉にまつわる地名が多く残っています。これは鳥取の城下町そのものが湯どころであることを示す証です。鳥取駅からわずか徒歩5分。山陰最大の繁華街に湧く温泉、大衆天然温泉銭湯は、日本広し、湯どころ多しと言えど「ここだけ」と言える、異彩を放つ湯屋街です。

駅開通より後の開湯!?
池田家の長い歴史の中、意外に浅い鳥取温泉の歴史

 池田公の御用保養温泉地と言えば日本最大の池「湖山池」のほとりにある吉岡温泉。こちらは開湯千年の永き歴史を持つ湯どころです。 鳥取城から西へ10kmと遠からずとも、さすがに駕籠や馬を轢いてのそれなりに大変な移動であったことでしょう。鳥取温泉はそこからはるか遅れての、明治30年の開湯。飲用の井戸水掘削の際に発見され、その地名「吉方村*」から吉方温泉と命名されたのです。後に周辺の末広町、永楽通り周辺からも源泉が発見され、昭和40年代には30ヶ所以上の源泉が開発され、鳥取駅前一帯に湯屋街が形成されました。廃藩置県が行われ、島根県との併合を経て鳥取県が再置された後のことです。もしも発見が鳥取藩の時代ならば、殿も毎日歩いて通える“膝元のプライベート温泉”となっていたことでしょう。


鳥取藩32万石城下町を彷彿とさせる鳥取駅前周辺をぶらり

 JR鳥取駅から見渡せば、スタバに、すなば珈琲に人が並び、ビル、商業施設が立ち並ぶ地方都市。その風景の奥に、城下を見下ろす城山が街のビルを遥かに越えてそびえ立つ。「要塞」のようなムードを醸し出すその山に向かって、若桜街道、智頭街道、若桜街道と、かつての往来の名残ある街道が真直ぐに続いています。その山こそが、かつて鳥取城天守が頂上にあった久松山。この光景は正に鳥取池田藩32万石城下町を彷彿とさせるものです。鳥取城跡周辺のみならず、街を歩けば、あの日光東照宮の分院として建立された因幡東照宮「樗谿神社」、東京国立博物館の黒門に並び現存する鳥取藩の上士層の家門「箕浦家武家門」、地下に薬研掘の堀川が流れていると言われる「梶川通り」などを始め、由緒ある建造物、寺社仏閣、城下町らしい地名に行き当たり、池田公のお膝元としての面影を色濃く残しています。

城主の数だけ大河ドラマがある
日本(ひのもと)にかくれなき名山

 久松山の鳥取城と池田家の歴史は、因幡神代の時代から…と言いたいところですが、池田家以前の統治時代も存在し、城の成り立ちは戦国時代中頃からとされています。その盛衰は毛利氏、尼子氏、宇喜田氏、織田氏など東西南を一大勢力に囲まれた戦国期にかけ、実に波乱に満ちあふれたものでした。塩治(えんや)氏、因幡山名氏、因州武田氏(あの武田信玄の祖、甲斐源氏武田信義の流れを汲む)、尼子氏(伝)、吉川氏、宮部氏、と城主を変え、そして関が原の合戦、大阪の陣を経た江戸時代に池田家を主君に迎え32万石の城下町となり、現在も残る城下町の骨格が形成されました。鳥取の中心市街地は、池田公の政治色ばかりでなく、統治防衛拠点の鳥取城を中心としたものなのです。今でこそこんなにも穏やかな鳥取の地ですが、数百年前の戦国の世から、光仲を藩祖とする鳥取池田家12代の居城となるまで、波乱に満ちた歴史を重ねたのでした。そんな鳥取城は、歴史好きの探究心をくすぐるネタに溢れている。

江戸時代文政年間創業190年余り
100%天然かけ流し自家源泉鳥取温泉の老舗
観水庭こぜにや

 “歩いて廻る”大河ドラマ・鳥取城下町散策でかいた汗を流し、鳥取の温泉街を満喫したい。そんなあなたにお奨めの湯どころは多数ありますが、まずご紹介したいのが「鳥取温泉・観水庭こぜにや」。市街地の中心にありながら100%天然かけ流し温泉(自家源泉)を有し、更に日本海の旬の海、山の幸の素材を生かしたお料理で湯上がりの贅沢なひとときをもてなしてくれる、老舗定番、「大事な旅で後悔したくない」という方に間違いなしのスポットです。
 創業150年とあるように、鳥取温泉の明治30年の開湯以前から旅亭としての歴史をスタートさせた老舗中の老舗であり、また、昭和天皇と皇太子・皇太子妃、文豪島崎藤村など、セレブリティの選らぶ秘蔵の宿でもあります。島崎藤村著「山陰土産」には、その賛辞がつづられていますが、その内容は、気取った堅苦しさのない旅館でありながら、もてなしの想いが細部まで行き渡っている、といったもの。「吸物わんのふたを取つて見ただけでも、おほよそその地方を想像することが出来るやうな気もする。」藤村は「山陰土産」の中のこの一文で、江戸の「粋」と似て非なる鳥取の「粋」までも捉えているようです。その「粋」とは安直な華美さより細部に真心を込める鳥取の美意識、もてなしの心、といったところでしょうか。
 以上はかつての「小銭屋(屋号は漢字表記だったようです)」のエピソード。現在の「観水庭こぜにや」を紹介させて頂きますと、天然温泉は、ナトリウム‐硫酸塩・塩化物泉、泉温50.1℃、仄かな金気、ほぼ無色透明の青掛り・微濁りの泉質。大浴場、露天、貸切風呂の取り揃えで、100%天然かけ流しの湯を心行くまで堪能できます。受け継がれたその泉水に身体はもちろん、中心市街地とは思えぬ静かな館内の落ち着いた和風観水庭園の彩りに目も心も安らぐ、まさに鳥取城下町随一のおもてなしの宿。温泉入浴のみ、食事のみの利用も可能です。

鳥取の食の代表格
池田公ゆかりの、元祖「松葉がに」

 藤村の「山陰土産」の一文から気になるのは食事のお話、ということで、山陰の名産、ご存知「松葉ガニ」のお話で〆たいと思います。地方によって越前ガニ、ズワイガニなど呼び名は異なりますが、ここ鳥取では「松葉がに」と呼ばれています。命名のセンスが実に日本的で美しく、呼び名からして食欲をそそるものですね。名に「松葉」とつく由来には諸説あり、漁師が大量の松葉を燃やして湧かした大釜で茹でたから、足のカタチが松葉のようだから、刺身にして冷水につけると神棚に飾る松葉のように身が綺麗にほぐれて開くから…など様々。その名が印された最古の文献をたどると、1845年に書かれた鳥取藩の「町目付日記」には同年(弘化2年・藩主は第10代池田慶行)11月13日、御用座敷立て替えの棟上げの祝宴に用意された献立の記録の中で、「広蓋え杉盛口取の中に、大花竹輪、松葉がに、焼玉子、みかん、焼津々実…」と、「松葉がに」なる名称が使われている。またその13年後の町役人の日記「町年寄御用日記」にも11月晩日の昼食として「松葉がに」の名称が登場している。池田公が召上がられた膳「広蓋え杉盛口取」とは、御膳の最初に吸い物とあわせて出される、旬の食材が彩りよく盛りつけられた前菜で、オードブルのように(花形に切られた)竹輪、卵焼きやみかんの小鉢、銀杏や栗の焼き物などが、松葉がにを惹き飾り「大きな花のごとく」盛られていたそうです。中央にむき身や爪、甲羅など彩り良く盛られた立派で大きなカニ。江戸時代のお品書きに記載された文字のみから膨らませた想像ですが、その様は彩り良く咲く野の草花を従えて根をおろす、立派で見応えの良い、葉を茂らせた松のようだったのかもしれません。

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観水庭こぜにや
所在地
〒680-0834 鳥取県鳥取市永楽温泉町651
電話番号
0857-23-3311
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地図は『鳥取市要覧』(大正15年・鳥取市発行)から転載。(鳥取市市民図書館蔵)