浦島虎徹
2015年11月17日 at 18:12
虎徹がどうこう、の前に、 そもそも池田家と鳥取の関係って?
2015年11月17日 at 19:47
池田家と鳥取城との関係は長吉が最初。 兄の輝政と兄弟で姫路城・鳥取城に入っていた。 当時はまだ西国・豊臣系大名の脅威があり、 兄弟でそれを抑えていた。
2015年11月17日 at 21:48
池田の藩政が始まったのは、光仲の時代。 岡山・池田忠雄の死にともない岡山の家督を継いだが、 3歳と幼かったたため、その頃、姫路から鳥取に転封してきた 光政と入れ替わり、光仲が鳥取に。そして藩祖となった。
2015年11月17日 at 23:49
ちなみに光仲のおじいちゃんは徳川家康。 そのことによる厚遇が浦島虎徹伝来と何か関わりがあるのかも?
2015年11月18日 at 09:49
池田忠雄(ただかつ)と言えば、荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘!
2015年11月18日 at 21:49
家康は光仲の曽祖父やったんと違いますやろか?
2015年11月20日 at 18:50
茨城で公開されたのは光忠ですよ^^ 吉光といえば、名古屋で鯰尾藤四郎(徳川美術館)、京都で骨喰藤四郎(京都国立博物館)が公開されましたね。 徳川と言えば、池田家は最後の藩主慶徳公が慶喜公の異母兄であるなど、関係は深いですね。浦島虎徹の池田家と、多くの名刀を持つ徳川家が繋がるのも、また興味深いものです。
2015年11月27日 at 18:51
誤植部分訂正いたしました。ご指摘誠にありがとうございます。 今後とも皆様のご協力のもと、楽しめるコンテンツを目指しております。 引き続きご協力よろしくお願い致します。
2016年2月18日 at 18:51
徳川家との関わりも深い池田家、岡山から鳥取への藩主の移動、入替えがあったのですね。 鳥取に「東照宮」があることにも納得。鳥取と池田家、さらに鳥取と徳川家、関係も気になります。 虎徹伝来の経緯も徳川との縁の深さが所以となっているのでしょうか…。
2016年2月18日 at 20:52
以下に浦島虎徹の性格が知れる文献あり。 他の刀匠のエピソードも、刀匠や名刀が豪族にどう 愛されていたかが分かり参考になります。
歴史に咲いた華「刀は生きている」 細野 耕三
2016年3月7日 at 18:52
ツイッターを見ると渡辺美術館へ行かれた方、ちらほらいらっしゃるようですね。 ところでこの浦(裏)サイト、よく出来たコミュニティサイトみたいですね。 メンバー同士で意見交換できる!何人かとグループ登録させて頂きました。
2016年12月18日 at 18:53
浦島虎徹って鳥取の刀なんですね! 確か蜂須賀虎徹の兄弟刀でしたよね!
2016年12月19日 at 18:53
蜂須賀虎徹は、浦島虎徹を作刀した「長曽根虎徹(入道興里)」の作。 さらに蜂須賀家は鳥取池田家の親戚筋にあたるそうです。 http://togetter.com/li/796742
どちらがお兄さんなんでしょうね…。
2016年12月19日 at 18:54
蜂須賀家との結婚が 鳥取に浦島虎徹が伝来したきっかけになった ということになるんですかね…?
2016年12月19日 at 18:55
蜂須賀家「蜂須賀虎徹は譲れませんが、浦島虎徹ならお譲りします」 池田家「浦島虎徹!身に余る品でございます!」 のようなやり取りか? 当時の婚礼の儀がどのようなものだったのでしょうかね。
2016年12月20日 at 18:56
池田光政が入手したと言われる「大包平」など、池田家の刀剣シンパシーは高いですね。 近藤勇の愛刀「長曽祢虎徹」は、 ・源清麿の作とする説 ・長曾祢虎徹興正の作であったとする説、 ・虎徹の養子である二代目虎徹の作とする説 と諸説ある中、源清麿の作とする説が有力だそうです。
2016年12月21日 at 18:59
>源清麿の作とする説が有力だそうです。
そうなんですか?!
贋作という書き方をしているサイトは多く見つけましたが… やはり詳細は謎なんですね。
2016年12月20日 at 18:59
「大砲平」を調べていて出会ったサイトに思わぬ事実が。 http://1muan.com/archives/305 上記サイトに ●●● 池田輝政の娘・振姫が伊達政宗の息子・忠宗に嫁入りた際、婚礼祝いに将軍家から「太鼓鐘貞宗」が伊達家に贈られた。振姫は嫁ぎ先の伊達家で1659年に亡くなる。浦島虎徹はその翌年に作られるのでした。 ●●● とあります。浦島虎徹は1660年に作られたのですね!知らなかった!
2016年12月21日 at 19:00
1660年といえば”伊達騒動”があった年ですね。 浦島虎徹とは直接関係は無さそう?ですが、
浦島虎徹、大砲平、太鼓鐘貞宗… 池田家には、こんなにも多くの名刀達との関係性があったんですね
伊達騒動も凄いですよね…。強制隠居って措置が凄い。 殿様ってどんなに悪くても誰も何も言えない、みたいなところがあるのかと思ってましたが… (漫画シグルイに出てくる悪い殿様の影響でしょうか) …度が過ぎるとイカンってことですね。
2016年12月21日 at 19:01
浦島虎徹、大砲平、太鼓鐘貞宗… そうそうたる刀剣が関わってます。 また、これは関わりあるかは別として、の話ですが、 蜂須賀虎徹も1660年ごろの作刀と、どこかで見たことがあります。
2016年12月23日 at 18:55
それだけ価値ある刀だったんですね!
虎徹といえば 近藤勇の愛刀「長曽祢虎徹」とも関係あるんですよね?
2016年12月26日 at 19:02
贋作が多く出回った長曽根虎徹(入道興里)作の刀ですが 本物と言われているのは蜂須賀、浦島だけなのでしょうか?
2016年12月26日 at 19:03
「虎徹をみたら偽物と思え」とは侍の中でよく口にされる言葉のようでした。 しかし、以下サイトにあるように、虎徹の作刀を綴った「虎徹大鑑」には、 虎徹195口、興正等48口が掲載され、また偽物といえどもベンツ1台ゆう に購入できるよな値がつくのだとか。 https://ji1ujf.wordpress.com/2012/02/19/%E8%99%8E%E5%BE%B9%E3%82%92%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%82%89%E5%81%BD%E7%89%A9%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%88%EF%BC%81/ 蜂須賀、浦島が唯一本物、ということであれば、池田家、鳥取の“箔”もより高まるのですが、 他の作品も文献上多く確認されているようです。
有名になれば偽物も登場する…刀にも 現代の高級ブランド品に似た扱いがあったって事なんですね笑
偽物でもそのくらいの価値が?!、サムライ達にとって ”憧れの刀だった”という感じでしょうか。^^
この添付資料とてもおもしろいですね!
2016年12月27日 at 19:03
添付資料中「清麿の刀が化けた」とありますが、 「化けた」って何だ?? 化身?? ww
2016年12月27日 at 19:04
「浦島」、「蜂須賀」は個人蔵、 「近藤勇長曽禰虎徹」は、 太刀は関東大震災で焼失。 脇差は京都・大国塊神社に奉納。 とのことです。
2017年1月1日 at 19:04
近藤勇の長曽禰虎徹は既に 焼失してしまっていたんですね。 蜂須賀、浦島より先に知っていたので、なんだかショックです。 大切に守られていたからこそ 現代での展示会が実現できるんですね
2017年1月5日 at 19:06
蜂須賀のほうを先に知っていることに驚いている、刀剣素人の私がいます。 きっかけは何だったんですか???
2017年1月6日 at 19:07
勘違いさせてすみません! 新撰組に興味があったので、 長曽祢虎徹を先に知っていたという意味です汗
蜂須賀、浦島の存在はあとから知りました。
2017年1月9日 at 19:07
新撰組シンパは多いですが、されど メンバーの愛用武具までご存知なのは凄いなと感服いたします。 私などルパン三世のワルサーP38、次元の44マグナムくらいしか知らなかった…。
2017年1月5日 at 19:09
鳥取藩の藩祖、池田光仲のお父さんの忠雄のお嫁さんが、蜂須賀家の生まれ(糸姫)なのですね。 http://www.pref.tottori.lg.jp/82463.htm 忠雄の舅(:しゅうと)が蜂須賀(至鎮:よししげ)、ということなのですね。
2017年1月13日 at 17:58
鳥取池田家を中心にした家系図ここにもありますよ。鳥取県のサイトより詳しくて、聞いたことのある戦国武将の名が山ほどでてきます!「こんな武将ともつながってるんだ!」って。私もそんなに詳しくはないですが、調べれば調べるほど面白いですよ。
http://kirinji.asia/bonds/page2.html
2017年1月14日 at 11:06
サイトの雰囲気一気に変わりましたね!
刀の由来や造りだけに目を向けてしまいがちですけど、池田家と数々の名武将との繋がりがあったからこそ、今の時代まで名刀を鳥取に残すことができたんですよね。すごく勉強になります!
2017年1月21日 at 07:39
ヒナタさま、また、これまでコメントをお寄せ下さった皆様、この度のリニューアルで驚かせてしまい申し訳ございません。 1月14日をもちましてサイトをリニューアルし、大きな変更点として個人アカウントによるコメント機能を廃止したことにより今後はユーザー名をその都度ご入力頂くこととなりますが、サイトをより活性するためのことと、ご理解の程よろしくお願いいたします。 これからご利用頂く方は、通常のコメント欄としてご利用下さい。
2017年1月26日 at 11:39
先日、雪の中、渡辺美術館の鳥取藩主池田家ゆかりの脇差し「浦島虎徹(こてつ)」の復刻刀を見て来ました。女性が多いこと、東京から鳥取まで駆けつけた人がいらっしゃったことに驚いています。http://www.asahi.com/articles/ASK1G43JDK1GPUUB001.html
2017年2月3日 at 10:36
鳥取藩主・池田光仲の母は蜂須賀家の三保姫。蜂須賀虎徹とも関係ありそうですが、 三保姫が池田家に嫁ぐのは1630年頃なので残念ながら時代があわないようです。
池田輝政と徳川家康の娘・督姫の間にできた娘・振姫が伊達政宗の息子・忠宗に嫁入りする際、その婚礼祝いに将軍家から、「太鼓鐘貞宗」が伊達家に贈られたそうです。
そんなことから婚礼祝いに名刀が贈呈されることはよくあるようです。
ちなみに、その振姫は嫁ぎ先の伊達家で1659年になくなり、「浦島虎徹」はその翌年に作られたそうです。
(引用 http://1muan.com/archives/305 )
ここは皆さまからの“捜索”クチコミサイト。あなたの書き込みをあらたなる歴史発見に 確実につなげる事ができます。
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2015年11月17日 at 18:12
虎徹がどうこう、の前に、
そもそも池田家と鳥取の関係って?
2015年11月17日 at 19:47
池田家と鳥取城との関係は長吉が最初。
兄の輝政と兄弟で姫路城・鳥取城に入っていた。
当時はまだ西国・豊臣系大名の脅威があり、
兄弟でそれを抑えていた。
2015年11月17日 at 21:48
池田の藩政が始まったのは、光仲の時代。
岡山・池田忠雄の死にともない岡山の家督を継いだが、
3歳と幼かったたため、その頃、姫路から鳥取に転封してきた
光政と入れ替わり、光仲が鳥取に。そして藩祖となった。
2015年11月17日 at 23:49
ちなみに光仲のおじいちゃんは徳川家康。
そのことによる厚遇が浦島虎徹伝来と何か関わりがあるのかも?
2015年11月18日 at 09:49
池田忠雄(ただかつ)と言えば、荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘!
2015年11月18日 at 21:49
家康は光仲の曽祖父やったんと違いますやろか?
2015年11月20日 at 18:50
茨城で公開されたのは光忠ですよ^^
吉光といえば、名古屋で鯰尾藤四郎(徳川美術館)、京都で骨喰藤四郎(京都国立博物館)が公開されましたね。
徳川と言えば、池田家は最後の藩主慶徳公が慶喜公の異母兄であるなど、関係は深いですね。浦島虎徹の池田家と、多くの名刀を持つ徳川家が繋がるのも、また興味深いものです。
2015年11月27日 at 18:51
誤植部分訂正いたしました。ご指摘誠にありがとうございます。
今後とも皆様のご協力のもと、楽しめるコンテンツを目指しております。
引き続きご協力よろしくお願い致します。
2016年2月18日 at 18:51
徳川家との関わりも深い池田家、岡山から鳥取への藩主の移動、入替えがあったのですね。
鳥取に「東照宮」があることにも納得。鳥取と池田家、さらに鳥取と徳川家、関係も気になります。
虎徹伝来の経緯も徳川との縁の深さが所以となっているのでしょうか…。
2016年2月18日 at 20:52
以下に浦島虎徹の性格が知れる文献あり。
他の刀匠のエピソードも、刀匠や名刀が豪族にどう
愛されていたかが分かり参考になります。
歴史に咲いた華「刀は生きている」
細野 耕三
2016年3月7日 at 18:52
ツイッターを見ると渡辺美術館へ行かれた方、ちらほらいらっしゃるようですね。
ところでこの浦(裏)サイト、よく出来たコミュニティサイトみたいですね。
メンバー同士で意見交換できる!何人かとグループ登録させて頂きました。
2016年12月18日 at 18:53
浦島虎徹って鳥取の刀なんですね!
確か蜂須賀虎徹の兄弟刀でしたよね!
2016年12月19日 at 18:53
蜂須賀虎徹は、浦島虎徹を作刀した「長曽根虎徹(入道興里)」の作。
さらに蜂須賀家は鳥取池田家の親戚筋にあたるそうです。
http://togetter.com/li/796742
どちらがお兄さんなんでしょうね…。
2016年12月19日 at 18:54
蜂須賀家との結婚が
鳥取に浦島虎徹が伝来したきっかけになった
ということになるんですかね…?
2016年12月19日 at 18:55
蜂須賀家「蜂須賀虎徹は譲れませんが、浦島虎徹ならお譲りします」
池田家「浦島虎徹!身に余る品でございます!」
のようなやり取りか?
当時の婚礼の儀がどのようなものだったのでしょうかね。
2016年12月20日 at 18:56
池田光政が入手したと言われる「大包平」など、池田家の刀剣シンパシーは高いですね。
近藤勇の愛刀「長曽祢虎徹」は、
・源清麿の作とする説
・長曾祢虎徹興正の作であったとする説、
・虎徹の養子である二代目虎徹の作とする説
と諸説ある中、源清麿の作とする説が有力だそうです。
2016年12月21日 at 18:59
>源清麿の作とする説が有力だそうです。
そうなんですか?!
贋作という書き方をしているサイトは多く見つけましたが…
やはり詳細は謎なんですね。
2016年12月20日 at 18:59
「大砲平」を調べていて出会ったサイトに思わぬ事実が。
http://1muan.com/archives/305
上記サイトに
●●●
池田輝政の娘・振姫が伊達政宗の息子・忠宗に嫁入りた際、婚礼祝いに将軍家から「太鼓鐘貞宗」が伊達家に贈られた。振姫は嫁ぎ先の伊達家で1659年に亡くなる。浦島虎徹はその翌年に作られるのでした。
●●●
とあります。浦島虎徹は1660年に作られたのですね!知らなかった!
2016年12月21日 at 19:00
1660年といえば”伊達騒動”があった年ですね。
浦島虎徹とは直接関係は無さそう?ですが、
浦島虎徹、大砲平、太鼓鐘貞宗…
池田家には、こんなにも多くの名刀達との関係性があったんですね
2016年12月21日 at 19:00
伊達騒動も凄いですよね…。強制隠居って措置が凄い。
殿様ってどんなに悪くても誰も何も言えない、みたいなところがあるのかと思ってましたが…
(漫画シグルイに出てくる悪い殿様の影響でしょうか)
…度が過ぎるとイカンってことですね。
2016年12月21日 at 19:01
浦島虎徹、大砲平、太鼓鐘貞宗…
そうそうたる刀剣が関わってます。
また、これは関わりあるかは別として、の話ですが、
蜂須賀虎徹も1660年ごろの作刀と、どこかで見たことがあります。
2016年12月23日 at 18:55
それだけ価値ある刀だったんですね!
虎徹といえば
近藤勇の愛刀「長曽祢虎徹」とも関係あるんですよね?
2016年12月26日 at 19:02
贋作が多く出回った長曽根虎徹(入道興里)作の刀ですが
本物と言われているのは蜂須賀、浦島だけなのでしょうか?
2016年12月26日 at 19:03
「虎徹をみたら偽物と思え」とは侍の中でよく口にされる言葉のようでした。
しかし、以下サイトにあるように、虎徹の作刀を綴った「虎徹大鑑」には、
虎徹195口、興正等48口が掲載され、また偽物といえどもベンツ1台ゆう
に購入できるよな値がつくのだとか。
https://ji1ujf.wordpress.com/2012/02/19/%E8%99%8E%E5%BE%B9%E3%82%92%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%82%89%E5%81%BD%E7%89%A9%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%88%EF%BC%81/
蜂須賀、浦島が唯一本物、ということであれば、池田家、鳥取の“箔”もより高まるのですが、
他の作品も文献上多く確認されているようです。
2016年12月26日 at 19:03
有名になれば偽物も登場する…刀にも
現代の高級ブランド品に似た扱いがあったって事なんですね笑
偽物でもそのくらいの価値が?!、サムライ達にとって
”憧れの刀だった”という感じでしょうか。^^
この添付資料とてもおもしろいですね!
2016年12月27日 at 19:03
添付資料中「清麿の刀が化けた」とありますが、
「化けた」って何だ?? 化身?? ww
2016年12月27日 at 19:04
「浦島」、「蜂須賀」は個人蔵、
「近藤勇長曽禰虎徹」は、
太刀は関東大震災で焼失。
脇差は京都・大国塊神社に奉納。
とのことです。
2017年1月1日 at 19:04
近藤勇の長曽禰虎徹は既に
焼失してしまっていたんですね。
蜂須賀、浦島より先に知っていたので、なんだかショックです。
大切に守られていたからこそ
現代での展示会が実現できるんですね
2017年1月5日 at 19:06
蜂須賀のほうを先に知っていることに驚いている、刀剣素人の私がいます。
きっかけは何だったんですか???
2017年1月6日 at 19:07
勘違いさせてすみません!
新撰組に興味があったので、
長曽祢虎徹を先に知っていたという意味です汗
蜂須賀、浦島の存在はあとから知りました。
2017年1月9日 at 19:07
新撰組シンパは多いですが、されど
メンバーの愛用武具までご存知なのは凄いなと感服いたします。
私などルパン三世のワルサーP38、次元の44マグナムくらいしか知らなかった…。
2017年1月5日 at 19:09
鳥取藩の藩祖、池田光仲のお父さんの忠雄のお嫁さんが、蜂須賀家の生まれ(糸姫)なのですね。
http://www.pref.tottori.lg.jp/82463.htm
忠雄の舅(:しゅうと)が蜂須賀(至鎮:よししげ)、ということなのですね。
2017年1月13日 at 17:58
鳥取池田家を中心にした家系図ここにもありますよ。鳥取県のサイトより詳しくて、聞いたことのある戦国武将の名が山ほどでてきます!「こんな武将ともつながってるんだ!」って。私もそんなに詳しくはないですが、調べれば調べるほど面白いですよ。
http://kirinji.asia/bonds/page2.html
2017年1月14日 at 11:06
サイトの雰囲気一気に変わりましたね!
刀の由来や造りだけに目を向けてしまいがちですけど、池田家と数々の名武将との繋がりがあったからこそ、今の時代まで名刀を鳥取に残すことができたんですよね。すごく勉強になります!
2017年1月21日 at 07:39
ヒナタさま、また、これまでコメントをお寄せ下さった皆様、この度のリニューアルで驚かせてしまい申し訳ございません。
1月14日をもちましてサイトをリニューアルし、大きな変更点として個人アカウントによるコメント機能を廃止したことにより今後はユーザー名をその都度ご入力頂くこととなりますが、サイトをより活性するためのことと、ご理解の程よろしくお願いいたします。
これからご利用頂く方は、通常のコメント欄としてご利用下さい。
2017年1月26日 at 11:39
先日、雪の中、渡辺美術館の鳥取藩主池田家ゆかりの脇差し「浦島虎徹(こてつ)」の復刻刀を見て来ました。女性が多いこと、東京から鳥取まで駆けつけた人がいらっしゃったことに驚いています。http://www.asahi.com/articles/ASK1G43JDK1GPUUB001.html
2017年2月3日 at 10:36
鳥取藩主・池田光仲の母は蜂須賀家の三保姫。蜂須賀虎徹とも関係ありそうですが、
三保姫が池田家に嫁ぐのは1630年頃なので残念ながら時代があわないようです。
池田輝政と徳川家康の娘・督姫の間にできた娘・振姫が伊達政宗の息子・忠宗に嫁入りする際、その婚礼祝いに将軍家から、「太鼓鐘貞宗」が伊達家に贈られたそうです。
そんなことから婚礼祝いに名刀が贈呈されることはよくあるようです。
ちなみに、その振姫は嫁ぎ先の伊達家で1659年になくなり、「浦島虎徹」はその翌年に作られたそうです。
(引用 http://1muan.com/archives/305 )